受精卵診断について
受精卵診断が、初めて認められることになった。
この診断は、子宮着床前の受精卵内の遺伝子を調べる技術である。
私はこのニュースについて、あまり手放しでは喜べない。
確かに受精卵診断は技術面や心理面において素晴らしい。
技術面では、ミクロ、ナノという極小世界での単位を駆使し、
いままで不可能、運だと考えられてきた障害を事前に取り除くことが可能になった。
また心理面では、遺伝や遺伝性の病の発症に悩む必要がなくなるという面に対しては、
喜ぶべきことである。
他にも政府や科学者の中には、世界の技術に取り残されないようにという目標を持って
真意に働いている人も多いようだ。
しかし、受精卵診断には、大きな危険性が潜んでいるという面にも、考慮しなければならない。
第一に倫理的問題である。
日本では他国では認められていない「男女産み分け」がある。
これも受精卵診断の一つで、
電磁波による振動によって産まれてくる子の性別を選べるというものである。
この技術は他国や国内から「命の選別ではないか」との声も出ている。
しかし、のれんに手押し状態。殆ど話の話題に上らないのが現状ではないだろうか。
第二に、受精卵診断から誕生した子の自由である。
具体的にはこの技術で誕生した子どもは、
実験材料ではなく一個人として見られるべきだということである。
最近の医療は人間を患者としてではなく研究材料として見ているという内容の新聞記事を見た。
もうその記事は残っていないのだが、まさにそのとおりだと思う。
私が小学生の時、足の甲に出来物ができて、医者に診て貰ったことがある。
足の血管の下に出来物があり、血管を圧迫していたらしかった。
そのとき受けた治療は、足の甲にある出来物を、注射器から抜くというものだった。
私は四人の医師に熱心に見守られながら、無事ミニ手術を終えたのだった。
今思うとじっと観察されているようで、少し怖い経験だった。
このように、一般の人ですら研究の対象として見られる。
受精卵診断の子どもであれば、より一層可能性は高くなるであろう。
第三に社会である。
今の社会では情報が、中枢を占めている。
情報では新しいこと、不思議なこと、面白いことが中心に取り上げられている。
例えば新しいことではニュース、不思議なことではドキュメンタリー、
面白いことではバラエティーなどがある。
確かに社会には、お金や信頼関係など情報以外の部分もある。
しかし人々の話の話題内容は、情報に影響されている面が遙かに多い。
いってみれば現代の社会は、情報に振り回されている社会なのである。
また現在では、新聞、テレビ、インターネットの情報網の活発化により、
流れてくる情報、欲しい情報はいつでもすぐに、手に入れられる時代になった。
子どもは経験をしなくとも、そこから得られる知識を、得ることが出来るようになったのだ。
具体的な最近の例では、長崎県佐世保市の大久保小学校で起きた、小6女児殺害事件が考えられる。
この事件は同級生の女の子をカッターナイフで首の頸動脈を切って、死亡させたものである。
この少女は知識だけが先走り、経験が付いていけず、
そして自分を制御する力が、充分に備わっていなかったのではないか。
しかし今の社会では、死について学ぶ機会は極めて少ない。
テレビでは、死んだ者が生き返る場面もある。
ゲームにおいては、リセットボタンを押せば、何度でもやり直しができる機能付きだ。
最近は、犯罪が急激に増えたと聞いたことがある。
今の若者たちは、人生や死を画面の外から、眺めるように見ているのではないか。
私はそこに一種の末恐ろしさを感じる。
このように受精卵診断には、まだ倫理的問題、受精卵診断から誕生した子の自由、
社会などの問題が山積みである。
受精卵診断の承認は、こうした問題を「世界の技術に取り残されないように」という名目で、
隠ぺいしようとしているのではないか。
都合の悪い物は隠す。
そうした社会の中で、新たな技術によって産みだされた子どもたちを、
どのように私たちが受けとめ、守っていくのか。
これが今後の私たちの課題である。
この作品は2004の夏に大学へ提出したものです。
家で書いたレポートって良いですね〜
何年か後で自分が当時どのように考えていたのかが分かるから。
その場で書いて提出するタイプはそのほとんどが戻ってこないので
書いたこと、考えたことをほとんど忘れてしまう。
私は以前自分で取得した科目の単位を取ってないとカウントしてました(汗)
しかもそうゆう科目に限ってどんな授業だったか何をやったかとか記憶に残りにくいし(^^;)
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